2016年4月20日

株式投資は“もうひとりの自分の自己実現”―広瀬隆雄さんの「大学生・新社会人のための株式入門」がいちいち面白い



海外株投資に関心のある人なら全員が読んでいるのではないかと思うのが広瀬隆雄さんのブログ、Market Hackです。そのMarket Hackで最近、大学生・新社会人のための株式入門という連載が始まりました。これがいちいち面白い。あいかわらず広瀬さんの洒脱な文体で、“株式投資とは何か”“なぜ株式投資なのか”ということを、けっこう身も蓋もない視点から説明してくれています。とくに株式を「保有する」ことの意味と、そこからもたらされる視点の変化に言及しているところに大いに共感。これは、売買で利ザヤを抜くことが株式投資だという感覚(それが間違いだとは言いませんよ)が強い日本では、あまり意識されない観点です。

連載の第1回で広瀬さんは、とても根本的なことを指摘しています。それは、株式を保有するということは、その企業のオーナーシップに加わるということ。なんだ、当たり前のことじゃないかと思うかもしれませんが、よくよく考えると、これはすごいことなのです。広瀬さんは次のように書いています。
フェイスブックの就職試験は難関です。だから僕などがノコノコ面接に行っても瞬殺で落とされるでしょう。
フェイスブックの社員は美味しいストック・オプションを貰うために働いているわけで、それはつまり社員も「株主になること」を目指していると言えます。
ところが、この究極の目標は、なにもフェイスブックに就職しなくても実現できます。つまり株式市場でフェイスブック株を買うことでリベンジできるのです。
これは日本株でも同じです。例えば東証一部上場の一流企業に就職するのは大変だし、そこで役員や社長になるなんて普通の人にとっては空想の世界です。でも、一流企業の株を保有した瞬間、株主はオーナーの一人としてとして社長よりも上座に座る権利を得ます。嘘だと思うなら一部上場企業の株主総会に一度行ってみるといいです。どんな小汚い格好をした貧乏人でも、株主である以上は東大とか慶應卒のエリート幹部社員や役員が恭しく接してくれます(面白いことに、立派な会社ほど株主に接する態度に教育が行き届いています)。

しかし、これは単に溜飲を下げるという問題ではありません。株主になることで、ものの見方が変わることが大事なのです。広瀬さんは次のように書いています。
なぜ株式投資の話をするのに、こんなことから説明を始めるか? と言えば、「雇われの身」と「雇う側」では世界の見え方が違うからです。
つまり社畜の視点とオーナーの視点は違うということ。
(中略)
サラリーマンの目線が「どのくらいお給料払ってくれるの?」とか「有給休暇、消化させてくれるの?」などに行くのに対し、オーナーはヒト、モノ、カネなどの経営資源を投入した際、それがどのようなリターンを生むか? という発想をします。
これは、非常に大事な視点。こういう視点を持てたら、たぶん世の中に対する見方が変わります。広瀬さんが指摘するように、世の中の変化とリスクについての気づけるようになるでしょうし、サラリーマンなら普段の仕事に対する意識が変わります。市民としても日々の生活のあり方が変わるかもしれません。少なくとも小市民的世間知だけで物事を判断しなくなる。

これは「社畜の視点」と「オーナーの視点」の視点を両方持っているから可能だともいえます。複眼的思考は生活の洗練度を上げてくれる。ちなみに、投資している人は、よく自分のことを「社畜」だといって笑うのですが、そうやって笑うことができるのは、じつは自然と「オーナーの視点」を持っているからです。複眼的に自己を見ることができるから、自分のある一面を笑うことができる。社畜の視点しか持たない人に「おまえは社畜だ」と言ってごらんなさい。きっと激怒されるでしょうから。

残念ながら、普通の生活の中では人はひとつの視点しか持つことができません。サラリーマンはサラリーマンの、主婦は主婦の、学生は学生の視点から世界を見る。でも、それとは違う別の自分の視点を持ち得たら、また別の世界が見えてくるはず。それは楽しいことです。そして株式投資は、そんな“別の視点”を、いちばん簡単に手に入れる手段でしょう。だから、広瀬さんの次の言葉に非常に共感したのです。
つまり株式投資の大事な効果のひとつとして、いま自分がやっている仕事を犠牲にしなくても、余った時間で、もうひとりの自分の自己実現ができるということがあるわけです。
案外、投資の面白さというのは儲けるとか損するとかではなく、普段の生活では持つことのできない別の視点を手に入れることではないかという気がしてきました。

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