2015年10月19日

インデックス投資はギャンブルか-「投資」を「投機」から分かつために必要な合理的理論とは



ひふみ投信の最高運用責任者でありレオス・キャピタルワークスの社長でもある藤野英人さんのインタビューがNewsPicksに掲載されていました。

「ETFはギャンブルです」──株価の乱高下に一喜一憂しない投資術とは(NewsPicks)

インタビュアーの質問が雑で、それに合わせて藤野さんの答えもやや雑になっているのですが、大筋としてはインデックスに毛の生えたようなポートフォリオで運用してよしとしている日本の運用会社に対する批判と読めばいいでしょう。また、ファンドマネージャーという仕事の難しさについて「背反する2つのことを、同時に行わなければならないからです。一つは、顧客の資金の大切さを骨の髄まで知ること、もう一つはしょせん他人事だと思って客観的に物事を捉えることです」と率直に語っているところも面白かった。ただ一点、気になったのが次のような発言です。
ETFが悪だとは言いません。長期的な経済成長が実現すれば、そのぶん儲かるわけですから。ただ、経済全体の動きが読めない以上、それに影響される商品を買うのは、僕に言わせればギャンブルです。
ここでいうETFは、インデックス投資全般をも意味していると理解できます。藤野さんは企業価値を見極めて投資することが本来の投資であり、将来の経済状況を予想して商品を買うことはギャンブルだと言っているわけですが、それでは果たしてインデックス投資はギャンブルなのでしょうか。これは個人投資家にとっても「投資とは何か」という難しい問題を投げかけています。

そもそも国際分散によるインデックス投資の有効性は「世界経済は長期的には成長する」という見通しを受け入れることが前提のひとつとしてあります(経済が成長しなくてもインデックス投資が有効だという考え方があることは承知しています)。ただ、問題なのは、これもひとつの見通しであり、「予想」にすぎないということ。そしてじつはプロの投資家にとって予想に基づく投資行為はありえないのです。HCアセットマネジメントの森本紀行さんも次のように書いています。
投資は投機ではない。投資を投機から分かつものは、判断の合理性と保守主義である。しかし、投資は簡単に投機に堕す。合理的であり、保守的であることは、情動的であることより、よほど難しいからである。
投資は、理論的な投資価値分析にこだわり続ける限り、合理的な価値判断の枠のなかに厳格にとどまる限り、損失に帰することは稀である。
(中略)
合理的投資判断とは、保守的な仮定に基づいて価値を算定することである。これが投資の基本だ。価格の予想は、投機的な要素を伴う。もともと、投資の世界では、予想するな、というのが重要な規律であった。投資とは、価値の判断であって、決して価格の予想ではない。価格の予想は投機だ。(「投機と投資の違い」アゴラ)
つまり価値分析など合理的判断をともなうものが「投資」であり、見通しや予想に基づく行為は「投機」、すなわちギャンブルなのです。こうしたプロの厳しい基準に照らし合わせれば、「世界経済は長期的には成長するはずだ」という「予想」に依拠している限り、インデックス投資は“ギャンブル”だといわれても仕方がない。プロとアマの投資は異なるという反論も可能ですが、投資とはそもそもプロもアマも同じ市場で行うものだけに“プロ・アマ”という区別は無意味だともいえます。

こうしたことを考えると、「インデックス投資はギャンブルではない」というためには、もっと合理的な理論が必要なのでしょう。少なくとも「予想」や「見通し」、あるいは過去のデータではない合理的な理論が必要なのです。

では、世界経済が長期的に成長することを合理的に説明する理論があるのでしょうか。私はあると思います。それは、資本主義という生産・交換様式が自己増殖のプログラムであるという考え方です。こうした考え方は、マルクス経済学を少しでも知っていれば、ピンとくるでしょう。マルクス経済学は「資本」を剰余価値を生み出しながら自己増殖する価値の運動と定義します。私は、国際分散によるインデックス投資というのは、つきつめればこの総資本に対する投資だと考えています。それが増殖することは「予想」ではありません。資本主義生産様式を分析して導き出された合理的な理論です。

もちろん資本主義生産様式には、さまざまな矛盾が存在します。例えば「生産と消費の矛盾」(資本はつねに利潤を最大化しようと生産性を高め、労働者の賃金を抑えようとするが、これが消費の限界をもたらし、過剰生産を発生させる)、あるいは宇野派マルクス経済学が重視する「労働力商品の無理」(労働力商品は人間しか提供できないので、不足したからといって急に増やせないし、過剰になったからと処分できない)など。こうした矛盾が蓄積され、発生するのが恐慌や経済危機ですが、資本主義生産様式の恐ろしいところは、恐慌の発生すらもシステムに織り込まれていること。つまり恐慌が発生することで過剰生産など蓄積した矛盾が解消され、ふたたび資本による生産を活性化させる。じつは恐慌こそ資本主義生産様式を継続させるための活力源なのです。だから、恐慌が起こったから資本主義は終わるのではなく、恐慌が起こるから資本主義が続く。



もっとも、資本主義生産様式が永遠に続くとは言えません。資本主義生産様式もまた、歴史的に成立したひとつの様式にすぎないことをマルクスは指摘しました。しかし、少なくとも投資とは、資本主義生産様式の中で行うものです。資本主義生産様式が続く限りは、総資本への投資は有効なはずです。たとえ恐慌が起こったとしても、そこで退場さえしなければ、ふたたび活力を取り戻した資本の運動が投資家にリターンをもたらしてくれるでしょう。もちろん生産様式が変わってしまえば、投資などは無意味になります。しかし、もし資本主義生産様式が揚棄され、マルクスがほのめかしたような「未来社会」が到来すれば、投資などしなくても普通の人が普通に生きることのできる世界が登場するのかもしれません。それはそれで良いことです。

いずれにしても私は、“マルクス主義投資家”の立場から、合理的理論に基づいて「インデックス投資はギャンブルではない」と断言します。インデックス投資は、増殖する総資本への投資なのだから。そして資本主義生産様式が終わらない限り、資本の増殖は止まらない。それが良いことなのか悪いことなのかは別の問題ですが。

関連コンテンツ