2016年12月19日

藤野英人氏のリベラリズム



私は基本的にインデックスファンドを投資のコアに置いているですが、いくつかのアクティブファンドもサテライトとして購入しています。なかでも気に入っているのがレオス・キャピタルワークスの「ひふみ投信」です。なぜ気に入っているのかというと、運用成績が素晴らしいことはもちろんですが、やはりユニークな投資哲学を感じることができるから。そして、ひふみ投信のユニークさを支えるのは、ファンドマネージャーである藤野英人氏のリベラリズムではないでしょうか。そういう思想性というのは、日本の運用業界では稀有な存在であるし、個人投資家レベルでも気づいている人は少ないかもしれません。

藤野氏の著書などを読んでいると、この人は恐ろしく理想主義者であり、しかも社会正義への視点が濃厚だということをいつも感じさせられます。そういう藤野氏の発想が最近、ますます先鋭化されてきたことを思わせる文章がありました。

投資の方程式から導く若者の働き方(藤野英人)(NIKKEI STYLE)

ここでは長期間労働と格差問題について語っているのですが、興味深いのは長時間労働を規制した場合、人間の能力や運によってもたらされる格差が固定されると冷静に指摘した上で、次のように処方箋を提示したことです。
では、労働時間に制限がかかっている世界の中で格差を是正するにはどうしたらいいのでしょう。ひとつは親の年収によらない教育機会の提供ですが、それを除くと結局、累進課税の強化しかないのだろうと思い始めています。健康で親に殴られることもなく安心して高い教育を受けることができ、幸いにして競争に勝つ機会に恵まれた運のいい人たちは、その力を存分に発揮して、存分に稼げばいいのです。
一方、そうした恵まれた人たちは一定以上稼いだお金を、そうでなかった人たちに還元するのです。たとえば、年収が2000万円を超えたら税率は5割、5000万円を超えたら7割にするのです。そうすれば、格差を相当縮めることができるように思います。
こういった発想を堂々と語る金融業界の人間は日本では非常に珍しい。それは、例えば他の独立系運用会社のトップとのやり取りを見るとさらに明瞭になります。草食投資隊の座談会でコモンズ投信の渋澤健会長と次のようなやり取りがなされました。
藤野:だから、残業は1日2時間までというように、キャップをはめてしまえば良いのです。で、それを超える残業をせざるを得ない場合は、たとえば残業1時間につき、残業代を正規時給の3倍にする。これを法律で決めてしまえば、残業は大幅に減りますよ。
なぜなら、社員が残業をすればするほど、残業代がかさむわけですから、企業は残業を抑制しようとするはずです。ただ、労働時間が制約を受けるなかで、同じ作業量でも、それをこなせる人とこなせない人との能力差が歴然としてきます。これまでは、能力に差があったとしても、長時間働くことで、その差をカバーできましたが、労働時間が制約を受ければ、それもできなくなります。すなわち、格差が固定化されるおそれがあるのです。
そこで、格差を是正するために、私は累進課税の強化が必要なのではないかと、最近思うようになりました。つまり、能力がある人はどんどん稼ぐ。そして稼いだ中から多めに税金を負担していただく。ただ、それでは優秀な人間の働く気をそぐおそれがあるので、納税額によって勲章のようなものを授与する。あるいは、年収2000万円を超える人は、その超過分の3分の1までを、住宅や自動車の購入費や交際費、映画やコンサートの鑑賞費用などを控除できるようにするといったインセンティブを持たせれば、累進課税を強化しても、働く意欲を失わずに済むのではないかと考えます。
渋澤:私は累進課税の強化には反対です。税制度だけに富の再分配をすることに頼ってしまうと、民の「善なる意識」が弱くなるからです。民主主義国家なのだから、やはり各人、自分の出来る範囲で、きちんと納税するべきでしょう。
藤野:1年前までは、私もそう思っていたのですが、ここに来て、能力のある人と、そうでない人との格差が、あまりにも大きくなってきたと感じるようになり、累進課税の強化が良いのではないかと思うようになった次第です。
渋澤:富の配分を政府に強制的に決められるのは、民の弱体化へつながるので結果的に良い社会は実現できません。あるレベルのハードルレート以上の所得を、自ら自主的に社会へ再分配しなければ、その部分は累進課税するという形なら、良いかもしれません。
「日本的正社員」という働き方は時代遅れだ」東洋経済オンライン)
渋澤氏が良い意味でブルジョワ民主主義の信奉者であり、あくまでアダム・スミス的な認識に止まっているのに対して、藤野氏は現代社会の生産様式への認識がもう一歩進んでることがよく分かります。

なぜ藤野氏がこういった認識に至るようになったのか。それは恐らく藤野氏が一種の労働価値説を信じているからだと思う。だから労働時間と価値生産の関係をある種の乗法(掛け算)で理解しようとする。その意味で藤野氏の経済観は、効用価値説を前提とする現在の主流派経済学よりも、リカードやマルクスの古典経済学に近い。そういえば、藤野氏の投資観も常に価値を消費する側でなく、生産する側への視線が濃厚です。

そして、労働価値説に立つ以上、格差は是正されなければならないという発想に至るのは当然です。なぜななら、労働価値説を前提にすれば、格差が生じる原因のどこかに経済的不公平があるはずだからです。そういった経済的不公平に対して、累進課税でもって再分配を進めなければならないと言いきってしまうところに、日本の金融業界では稀有な藤野氏のリベラリズムがある。それは最近発表された文章でも濃厚でした。

トランプ現象 浮かぶ新たな企業価値(藤野英人)(NIKKEI STYLE)

ここで藤野氏は「敗者への思いやりが必要」として次のように述べています。そこにあるのは、やはり価値を消費ではなく生産から見る姿勢です。
これからのニューエコノミーは、効率やスピードだけでなく(もちろんこれは経営ではとても重要ですが)、きちんとコストをかけて真面目に商品、サービスをつくり上げ、社会との調和を図るという視点がより大切になるでしょう。
私は、こういった藤野氏の投資観とリベラリズムを支持します。なぜなら、私もまたどこかで労働価値説を信じているから。そして、労働価値説を信じているからこそ、資本主義における経済的不公平(それは労働者からの剰余価値の搾取です)を是正する戦略としての「投資」ということを考えているからです。

確証はないけれども、藤野氏もまた似たようなことを感じているのではないでしょうか。でなければ、藤野氏が持つリベラリズムや社会正義への視線と、実際に彼が携わっている投資・運用というビジネスの間に整合性が取れないはずです。恐らくそこには大いなる葛藤もあるはず。そういう葛藤に対しても共感する。だからこそ私は、藤野氏や彼の投資観が持つ思想性が窺えるひふみ投信がとても気に入っているのです。

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