2017年4月24日

『捨てられる銀行2 非産運用』―金融庁の資産運用改革は何を目指しているのか



現在、金融庁は森信親長官の特異なリーダーシップによって金融行政の大転換を進めています。その狙いは2015年9月に発表された「金融行政方針」の中で謳われた「企業・経済の持続的成長と安定的な資産形成」という言葉に示されています。このうち前半の「企業・経済の持続的成長」のために金融庁が銀行の融資業務の在り方に大変革を求めている実態を紹介し、ベストセラーとなった『捨てられる銀行』の著者が、今度はもうひとつのテーマである「安定的な資産形成」に向けて金融庁が何を考え、金融業界にどういった方向性への自己変革を求めているのかを詳細にレポートした『捨てられる銀行2 非産運用』がこのほど刊行されました。新書という簡便な本ながら、取材源にはかなり金融庁の中枢が含まれていると推測できる内容であり、ある意味で金融庁が何を考え、何を目指しているのかということが非常によく分かる1冊です。

タイトルの「非産運用」というのは、これまでの日本の金融機関による資産運用業務が、本来の目的である顧客の資産形成・運用に資するのではなく、手数料収入によって金融機関の利益を確保する手段に堕していた状況を皮肉った言葉です。高額の購入手数料や投信の回転売買、さらには手数料の不明確な保険商品を売ることは資産運用でなく「非産運用」であり、さらには「悲惨運用」になっていると著者は指摘している。こうしたことは一部の専門家や個人投資家の間では以前からら何度も指摘されていたわけですが、金融機関の自助努力ではなかなか状況が改善しませんでした。

この状況を一気に変えようとしているのが現在の金融庁です。そのために2015事務年度「金融行政方針」を強化するかたちで16事務年度「金融行政方針」が策定されますが、本書ではその策定に先立って森信親長官が金融庁幹部に配布したA4サイズ2枚のペーパーの原文を紹介しています。この「森メモ」は内部文書のため、率直に森長官の考えを表しており、非常に資料的価値も高い。やや長くなりますが紹介します。
■目先の利益にこだわり、顧客本位が言葉だけになっていないか?(投資商品の販売で都合のよい情報だけを顧客に伝えていないか。顧客の金融リテラシーの不十分さを利用した商売をしていないか? 足元の収益目標達成にこだわり真に融資先企業の価値向上を考えているのか? 金融庁を見て顧客を見ていないのではないか?)
■顧客に良いサービスを提供し、満足を提供できる企業が生き残ることは金融機関に限らず全ての企業に共通
■それができる金融機関は急な環境変化の中でも生き残れる(健全性維持が可能)
■金融機関が質の高い商品・サービスを提供し、顧客企業の価値や生産性向上を実現できること、個人顧客の資産形成に役立つこと等は経済の発展につながるとともに、ひいては金融機関自身の収益安定性につながるもの
こうした好循環の実現を目指す
■当局が金融機関をマイクロマネージして指図することは非効率かつ我々にそうした能力が備わっているか疑問
■むしろ、金融機関の行っていることを個人顧客や企業に見える化する、素晴らしい取り組みを行っているところが顧客から正当に評価され成功する一方、顧客から搾取しているような金融機関が力を失っていく。そうした適切に市場機能が発揮される環境を当局が整備する
■金融機関が顧客のために行っている取り組みを開示することをEncourage
■我々が検査・監督等で得た知見を公表
■金融商品やサービスの販売で顧客の情報の少なさを悪用できないように、手数料など商品特性の開示を強化
■環境の変化に対応できず、顧客本位のビジネスモデルも作れない金融機関は競争力を失う。金融システムに不安を与えずに退出できないと経済・国民に迷惑をかける。そうした金融機関については、危険な状況になる前から前広に対話し、経営改革や適切な対策を慫慂
「森メモ」の存在を明らかにしただけでも、本書は目を通す価値があります。ここにあるのは、まさに森長官の“資本主義国家における官僚の強烈な国家意識”です。森長官は、べつに国民が可哀想だから金融機関に改革を促しているのではない。国民の資産形成が国家経済に不可欠だからこそ、それを阻害する金融機関の悪行を潰そうとしている。そして顧客に質の高いサービスや商品を提供することが金融機関の収益安定性につながり、やはりそれは国家経済にとって必要だという行政的判断なのです。ようするに森長官は、これまで日本の金融機関がやってきたような“焼き畑農業”的な運用ビジネスには持続性が無く、いずれ「経済・国民に迷惑をかける」と判断している。だからこそ「適切な対策を慫慂」すると断言しているのです(「慫慂」という言葉が象徴的)。

ただ、森長官が百凡の官僚より優れていると思えるのは「当局が金融機関をマイクロマネージして指図することは非効率かつ我々にそうした能力が備わっているか疑問」と認識したことです。ここに現在の金融行政改革の特異さがあります。従来のような規制強化では結局、金融機関は「規制にさえ違反しなければ何をしても許される」という卑小な地点に堕ちていくことは目に見えている。それを規制で防ごうとすれば、際限なく規制を細かくしていかなければならず、それは現実的に不可能です。そこで金融庁が持ち出したのが「フィデューシャリー・デューティー」という概念でした。従来の「受託者責任」を「真に顧客本位の業務運営」と位置付けたことで、その対象を全金融機関に広げるという意図があったわけです。そして、フィデューシャリー・デューティーを金融機関が全うしているかどうかを国民に広く開示することで、いわば国民の選択によってフィデューシャリー・デューティーを遵守しない金融機関を退場させようという考え方です。こうした考え方の原点には、森長官が在米領事館勤務時代に米国の運用ビジネスの実態を研究していたことがあります。

本書ではフィデューシャリー・デューティーについてもかなり詳細な記述がなされており、なぜ運用ビジネスにおいてフィデューシャリー・デューティーが必要なのかもよく理解できるでしょう。フィデューシャリー・デューティーは元々、英米法に由来する概念であり、それはコモン・ローによって保障される通常の契約概念と異なり、エクイティによって保障される信認関係に基づく概念です。だから金融機関にとってフィデューシャリー・デューティーは、ときに営利企業としての利益よりも優先されるということが海外の事例を挙げながら紹介されています。それに比べると、日本の金融庁が求めているレベルは、まだ優しいと思えるぐらい。少なくとも金融庁はフィデューシャリー・デューティーを追求することで金融機関の持続的な収益安定性を求めているのですから。

年金制度の変化と資産運用改革について1章を割いているのも本書の目配せが聞いている点でしょう。現在、金融庁が行っている資産運用改革は、日本の年金制度の変革と密接に関係していることは明白だからです。財政的な制約から公的年金制度の拡充が難しい中、政府は明らかにその補完機能を国民の自助努力による資産形成に求めていることは勘のいい人ならすぐに気づく。それが個人型確定拠出年金(iDeCo)の加入対象者拡大と2018年から始まる積立NISAです。だからこそ、運用ビジネスではフィデューシャリー・デューティーが求められる。老後資金という重要な資金を扱う以上、そこでは金融機関の勝手な論理は通用しない。さらに、iDeCoや積立NISAと通じて国民の富が株式に流入することは、日本の経済を活性化するという狙いすらあるわけで、これこそが金融庁の目指す「好循環」ということです。

さらに日本の金融機関が目指すべき方向性として、バンガードをはじめとした米国の運用ビジネスも取材しています。その上で日本の金融機関の取り組みも紹介している。まだまだ道半ばという印象ですが、それでも少しづつですが日本の金融機関も変わろうとしているということがよく分かります。これもまた金融庁の資産運用改革がもたらした成果でしょう。この点に関しては、恐らく著者よりもインデックス投資家の方が実感として分かるのでは。本書には登場しませんが、金融庁がフィデューシャリー・デューティーということを明言してから、日本の金融機関の動きが明らかに変わりました。例えばここ数年で急速に進んだ投資信託の低コスト化(もちろん、いまだに高コストなボッタクリ商品は多いですが)は、やはり金融庁の動きが無関係だったとは思えません。

非常に内容豊富な1冊なので、まだまだ感じたことは多いです。最後に登場する松下幸之助の「1億総株主構想」といった話柄も興味深かった(これについては別稿を用意したいと思います)。現在、日本の運用ビジネスで起こっている変革は、かなり国家のグランドデザインに基づいて行われているものであるということが印象的でした。その意味で、運用ビジネスに携わる人、あるいは関心のある人にとって必読の1冊かもしれません。もちろん、個人投資家にとっても興味深い本です。

ところで、金融機関関係者の間では本書を「金融庁の森長官が書かせたプロパガンダ」だと批判する向きもあるようです。確かにそういった側面もあるのでしょう。しかし、そういう批判をしているから日本の金融機関はダメなのです。つまり、顧客ではなく金融機関に内在する論理ばかりが優先されてきた結果、日本の運用ビジネスはペンペン草も生えない悲惨な状態になっている。そういう状態を金融庁と森長官は「経済・国民に迷惑をかける」と言っているのです。だから金融機関が本書に反論するなら、すくなくとも「経済・国民に迷惑をかける」ような行いを一切排除してから言うべきです。それはフィデューシャリー・デューティーを追求することです。それができてはじめて日本の金融機関は金融庁の指導・監督から自由になれるのです。



※金融庁が目指す「企業・経済の持続的成長と安定的な資産形成」は資産運用改革だけで達成されるものではありません。車の両輪として金融機関のもう一つの役割である融資業務の在り方に関しても大変革を求めています。その点については、本書の前編ともいえる『捨てられる銀行』が詳しく報告しています。両方を読むことで金融庁が目指している改革の全体像が見えてくるでしょう。

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