2018年1月8日

明治維新150年に“積み立て投資”維新を起こせ―渋沢栄一の合本主義に学ぶ



2018年は明治維新150年となる節目の年です。これに関してコモンズ投信の渋澤健会長が興味深いエッセーを書いていました。

維新150年 節目を「つみたて元年」に(NIKKEI STYLE)

渋澤会長は、これから銀行など金融機関のビジネスモデル転換が起こる可能性を指摘しているのですが、そのチャンスとなるのが今年からスタートした「つみたてNISA」です。これはまさにその通りで、私も今後の金融機関(とくに地方金融機関)の生き残る道は積み立て投資の普及によるリスク性預かり資産の拡大と、そこからの(焼き畑農業的なボッタクリでない)安定的なフィー拡大しかありえないと思います。いま必要なのは“積み立て投資”維新なのです。

渋澤会長が指摘するように日銀のゼロ金利政策による長短金利差縮小によって金融機関の「地元で集めた預金を同じ圏内で貸し出すビジネスモデルが機能しにくくなっている」のは事実です。そうした中で、新たなビジネスチャンスとして前向きにとらえるべきなのが「つみたてNISA」をきっかけにした積み立て投資の普及です。渋澤会長が指摘するように積み立て投資に対して前向きに取り組む金融機関と、そうでない金融機関では20年後に歴然とした差が生じることになるでしょう。

だからこそ金融機関は、日本における金融業の根本精神に今こそ立ち返らないといけないと思う。そのひとつが日本の近代的金融業の創造者だった渋沢栄一の思想に学ぶことです。渋澤会長は渋沢栄一の言葉を引用しながら、次のように述べています。
日本初の銀行が設立されたのは明治維新から6年を経た1873年だ。当時、スタートアップのベンチャー企業にすぎなかった銀行の存在感を示すために、渋沢栄一は「第一国立銀行株主募集布告」で訴えた。
「銀行は大きな河のようなものだ。銀行に集まってこない金は、溝にたまっている水やポタポタ垂れている滴と変わりない。(そんな状況では)折角人を利し国を富ませる能力があっても、その効果はあらわれない」。滴のような少額資金を毎月積み重ねて大河をつくることは、銀行の原点回帰を促すことにもつながるであろう。
ここには渋沢栄一が唱えた合本主義のエッセンスが示されている。もし現代に渋沢翁が生きていたら、きっと積み立て投資の普及のために精力的に活動するのではないでしょうか。なぜなら、現在の日本の産業構造を考えると、家計が保有する900兆円を超える現預金を投資という形で社会に循環させることは、単に銀行業の生き死にの問題ではなく、「人を利し国を富ませる」ためにも必要不可欠だからです。そういった新・合本主義が“積み立て投資”維新の目指すところとなるに違いありません。

渋沢栄一研究ブックガイド


さて、ここからは付録です。じつは私は大学院生時代から個人的に渋沢栄一研究やっています。そこで参考までに渋沢栄一を知るための本をいくつか紹介します。

渋沢栄一に関する本で、なんといっても面白いのが彼の自叙伝『雨夜譚―渋沢栄一自伝』 (岩波文庫)。彼の肉声に触れるような文体が強い印象を残すからです。渋沢栄一の談話集である『青淵百話』も『渋沢百訓 論語・人生・経営』 (角川ソフィア文庫)として抄録版が文庫化されているので併せて読むといいでしょう。



渋沢栄一の思想といえば「道徳経済合一論」ですが、これを本人が分かりやすく説いたのが『論語と算盤』 (角川ソフィア文庫)。いっけん牽強付会に見えて、じつは深い儒学知識に基づく論語の読み替えは、日本的道徳思想の一形態として興味深いし、日本的な「資本主義と倫理」の精神的格闘の記録としても貴重です。さらに本格的に渋沢の論語解釈を知ろうと思えば、『論語講義 』 (講談社学術文庫)に進むことで素人研究の域を脱してきます。



渋沢栄一の伝記研究としては渋沢青淵記念財団竜門社編『渋沢栄一伝記資料』がまず基本文献ですが、本編58巻・別巻10巻の大部なものなので図書館などで利用しましょう。最近では嬉しいことにデジタル版が公開されています。簡便な伝記としては渋沢栄一伝記資料の中心編者だった土屋喬雄の『渋沢栄一』 (人物叢書)があります。労農派マルクス主義経済学者であり、経済史の大家でもある著者の分析は現在でも無視できないものがあります。また、幸田露伴の『渋沢栄一伝』も基本文献。明治の文豪が渋沢翁をどのように評価していたかが興味深い。また、息子である渋沢秀雄による『明治を耕した話―父・渋沢栄一』(青蛙選書)も親族ならではの貴重な情報を含みます。





ユニークな渋沢栄一研究としては山本七平の『渋沢栄一 近代の創造』 が極めて独創的な山本学に基づく渋沢研究。同じくユニークな渋沢研究として鹿島茂の『渋沢栄一』(文春文庫)も挙げておきましょう。サン・シモン主義者としての渋沢栄一という独特の仮説を説いています。



渋沢栄一を描いた小説はいくつもありますが、やはり城山三郎の『雄気堂々』(新潮文庫)を挙げないわけにはいきません。



渋沢栄一について書かれたものは、このほかにも膨大にあります。本当に調べれば調べるほど得体のしれない人物と思えてきます。日本における資本主義とは何かということを考える場合、渋沢栄一というのは避けて通ることのできない問題系として存在しているのです。

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